社会福祉法人 愛知玉葉会 第二尾張荘

愛知県名古屋市守山区にある『社会福祉法人 愛知玉葉会 第二尾張荘』のブログ

28
2017-11

戦・場・道・険(前編)

投稿時間 : 14時00分00秒

カテゴリー : 史跡をゆく

ジャンル : 日記


「史跡をゆく」


晩秋の紅葉スペシャル!

第一弾は関ヶ原篇!!




晩秋を迎え、竜泉寺や小幡緑地公園の森など、第二尾張荘周辺の木々はすっかり

赤や黄色に染まり、紅葉は今が最高潮!

絶好の紅葉狩りの時期なのだが、とはいっても、ただの紅葉狩りではツマラナイ。

そこで、史跡探訪と紅葉めぐりの奇蹟のコラボを、2日連続で計画。

初日の26日(日曜日)は、自転車好きの友人と、大垣から関ヶ原へ抜けるMTB

ツーリングであります。




友人のミニバンで自宅まで迎えに来てもらって、MTB2台を車載し、

目指すは、今も城下町の風情を色濃く残す「水都」大垣。

芭蕉『奥の細道』むすびの地としても知られます。

私が20年来通っているアメカジの名店・スピリッツさんがあることもあって、

結構頻繁に訪れています。

夏は、名物の水まんじゅうも美味しいし。


われわれの愛車の奥に映っているのが、

大垣城天守(戦災で焼失し、戦後復元されたもの)

初代大垣藩主・戸田氏鉄(とだ うじかね)公の騎馬像。




冒頭に掲げた『歴史群像10月号』(学研)において、別府大学の白峰旬教授が関ヶ原合戦に

関する最新の新説を紹介されており、同じく画像に掲げた3年前の著書『新解釈 関ヶ原合戦

真実』(宮帯出版社)と合わせて、

今やこの合戦を考える上で、白峰教授の説を避けて通る事はできません。

今回は、江戸・明治期に確立され、今日広く定説化している(してしまっている)従来からの

関ヶ原合戦像とは異なる本戦役の実相に少しでも迫りたいと思い、

峰説の根幹ともいうべき、この大垣城を旅のスタート地点に選びました。


ルートはここ大垣城を起点に、家康が最初に陣を布いたとされる美濃赤坂の岡山へ向かい

以後は中山道を西進、垂井宿と南宮山を経由して、関ヶ原古戦場へ向かうというものです。

それにしても、大垣はいつ来てもいいですね。






味のある古い建物や、如何にも城下町らしい地名が残っていたりして、いろいろと楽しめます。

ちなみに、手前の私のMTBのハンドル部についている物体、見えますか?

前日に名駅のヤマダ電気で購入したポータブルスピーカーです。




スピーカー本体の底の部分にメスネジが切ってあり、ハンドルに着けた付属の専用

ブラケットのオス側にボルトオンできるのです。

完全防水で、むろん、Bluetooth対応。

タイヤ型のデザインがカッコいいし、これで3,000円台というから、お買い得でしょう。

このように附属のカラビナ&ストラップでひっかけられるのもミソ。

実際にはポイントを使って、2,000円ほどでゲット!





さて、大垣から北上すると、中山道が東西に走っています。

この一帯を一望したいと思えば、外せないのが、美濃赤坂宿の北に聳える金生山。

その標高は217m。

地元では「きんしょうざん」と呼びますが、正式には「かなぶやま」と読むのだそう。

われわれは無謀にも、舗装されているとはいえかなり傾斜のキツイここの登山道をMTBで

上がっていくことに。

友人はクライムヒルレースに出場するほどの自転車フリークなので、素早くギアを変えながら

巧みに坂を上っていく。

私は早々にダウン。MTBを押して、徒歩で彼の後を追います(+o+)

いやあーしんどかった。

でも、登った甲斐がありましたよ。

見てください、この見事な紅葉を。






山頂には、かの役小角(えんのおづぬ。飛鳥時代に活躍した伝説的な修験者)による

開基伝説がある明星輪寺(みょうじょうりんじ)という真言宗の古刹があります。







この本堂の奥には、巨大な岩が本尊の様に鎮座していますが、

御朱印をいただいた際に御住職に伺ったところ、岩自体に人が入れるほどの

穴があいていて、そこで修行できるようになっています。

かつて堂宇が無かった時代は岩そのものが修業の場だったのです。



本堂の右手(北西側)には、他にもこのように無数の巨岩・奇岩が屹立しています。

如何にも山岳修行の場らしいですね。

そして、この場所からの濃尾平野の景観と言ったら、まことにすばらしい!


この日の昼前は、本当に天気が良く、ご覧のような絶景に出会えました。

遠く、名駅エリアの高層ビル群が見えるほどです。

ここに来るなら、空気が澄む晩秋から冬がおススメ。





そして、本堂脇の紅葉が本当に赤々と綺麗でした。

上の画像、実は、本ブログお馴染みのミニチュア映像加工無しの

撮りきり画像なんですが、この鮮やかさです。



さて、この山の中腹から南を望むと、これから向かう美濃赤坂の岡山が見えます。

画像中央やや左に映る低い丘陵がそれです。

この丘の上に、清洲から出張ってきた徳川家康本隊が陣を布きました。

もとは岡山という地名でしたが、合戦を勝利に導いた縁起のいい場所だったことから、

「勝山」とも呼ばれるようになりました。

これも江戸期に蔓延した家康神格化の一つですね。



さらにその右手(下画像にうつるガードレールの上)には、南宮山が見えます。



ふもとには、美濃国一之宮である南宮大社があり、後編でご紹介。

この山には石田方に付いた毛利軍が布陣、三成たちが籠城していた大垣城の後方支援

(後詰)にあたりました。

対して大軍を擁する家康本隊は岡山に布陣して、南宮山の毛利を牽制。

これによって、毛利軍の先陣を務めていた吉川広家が家康に降参する結果となり、

毛利軍は無力化してしまうのです。

つまり、このあと、関ヶ原方面での野戦はあったのですが、それは偶発的に生起したにすぎず、

あくまで家康方の戦略は、大垣城攻略を本戦役の本質と見なし、家康自ら岡山に布陣することで

大垣城と南宮山の毛利後詰軍を切り離すことこそが主たる目的であった、というのが白峰説の

根幹です(大垣後詰決戦説)。

この金生山に登ると付近の地理関係が一望でき、白峰説が提示する新たな関ヶ原合戦像

が良く理解できると思います。

当時、付近に布陣した東軍(家康方)も、ここから敵情視察をしたかもしれません。

関ヶ原合戦を考える上で外せない金生山。

訪れたことが無い方は、ぜひ一度訪れてみてください。

ちゃんとクルマでも登れますのでご安心を(^_^.)


さて、このあとは、家康が陣を布いた岡山へ。途中、JR美濃赤坂駅に寄り道。



さきほどの金生山付近は、石灰の産地として有名で、

その積み出しのための貨物路線が走るなど、鉄道施設が多い土地でもあります。

おそらく、鉄道ファンにはたまらない場所なのでは?

われわれはそこまで鉄道好きではないですが、それでもこのあたりの風景は素敵だと

思います。





さて、岡山へまいりましょう。

私がここへ来たのはこれで2回目。

ここには安楽寺という古刹があり、その境内奥に本陣跡があります。

おそらく、家康自身は、このお寺に泊まったことでしょう。



徳川家ゆかりの寺院ということから、本堂の扉には複数の三つ葉葵紋が

あしらわれています。



これが、家康の布陣跡をしめす石碑。

「史蹟 関ヶ原合戦岡山本陣址」とあります。

左にみえる玉垣の中には・・・



「弘文天皇壬申難古跡」なる石碑がたっています。

弘文天皇?と訝しむ方もおられるかもしれませんが、

「壬申の乱」において、天智天皇の皇子で、父の弟である大海人皇子(のちの天武天皇)との

戦いに敗れて非業の最期を遂げた大友皇子に対し明治3年に追贈された諡号(おくりな)です。

大友皇子が一時的であっても天皇に即位したかどうかは、学問的には議論が分かれるところ

ですが、古代日本を揺るがしたこの大きな戦いも、この周辺が決戦地になったのです。



この場所で最も目立つのは、これでしょう。

「皇太子殿下 御野立之處」と銘がある巨大な石柱。






銘を揮毫したのは、小倉藩出身の明治・大正期の陸軍軍人である元帥陸軍大将・

奥保鞏(おく やすかた)。

日露戦争の際は第二軍司令官となり、金州南山を攻略した名将として知られ、

非薩長人ながら、軍人としての力量が卓越していたため、軍功を重ねて陸軍大将となり、

日露戦争後には急逝したあの児玉源太郎の後任の参謀総長を務めています。

この石柱は、明治44年に実施された参謀演習に皇太子(のちの大正天皇)が臨御された

ことを記念して建立されたものですが、調べてみると、彼はこの直後に元帥府に列せられた

ため、石柱が建立された時点では元帥の称号がありませんね(ちなみに、あの乃木希典は

元帥になっていません・・・)。


ここにはこれ以外にも・・・





この場所にかつて高射砲陣地があったことを示す石柱。

秋風にゆれる草むらにひっそりと建っていました。

大垣市街への米軍の空襲に備えたものでしょう。

それなりの広さがあるコンクリートの床が残っており、おそらく高射砲の砲床の遺構だと

思われます。

以前来たとき、ここには観光展望用のウッドデッキがあった気がしますが、勘違いだったか、

それともそれがこの砲床の上だったのか・・・



美濃赤坂宿・岡山本陣跡。

ここは、古代から近代まで、様々な戦争の記憶を現代に留める場所でもありました。


(後篇へつづく!)




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