社会福祉法人 愛知玉葉会 第二尾張荘

愛知県名古屋市守山区にある『社会福祉法人 愛知玉葉会 第二尾張荘』のブログ

07
2018-01


本日からいよいよ、NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』がスタート!

第一話のサブタイトルは「薩摩のやっせんぼ」。

ちなみに「やっせんぼ」とは、薩摩方言で「意気地なし、弱虫」

という意味。




本ブログをお読みの皆さんは、尾張人の私が如何に薩摩愛に溢れているか

を御存じだろうと思います。

以前にも書きましたが、小学生の時から薩摩の歴史が大好きだったことに加え、

岳父が鹿児島生まれで、まさに西郷どんのような大男。

当然、カミさんも子どもたちにも、薩摩隼人のDNAが受け継がれています。

彼らに自らの血のルーツをしっかりと自覚させるべく、今年の大河は家族全員必見!!

なお、第一話では、関ヶ原合戦時の島津義弘一行による有名な敵中突破「島津の退き口」

にまつわる「妙円寺詣り」という薩摩独特の行事や、

少年時代の西郷と、彼の生涯の師となる幕末きっての名君・島津斉彬との運命の出会い

感動的に描かれるそうです。

みなさん、お見逃しなく!!





さて、年明けから、3月スタートの「リクナビ2019」の原稿を書いています。

この作業をする際に毎回思うのは、当会の基本理念である


「愛するものは、愛される」


という法人創立者の座右の銘だった言葉の意味を、どのように表現すべきか

という点です。

こうした、シンプルでありきたりな言葉ほど、その精神を噛み砕いて説明するのは

実に難しい。

たかだか10文字(読点を除く)で成り立つ言葉なのですが、その本質を語ろうとすると、

その何十倍もの言語を費やさなければならないのです。

そして、それが本当に妥当な説明になっているかということについても、毎度自信が

ありません。

実は、この年明け、今回の大河ドラマに関連する特別番組が多数放送されていて、

その中で複数の人が西郷の座右の銘であり、たびたび揮毫したという「敬天愛人」

という言葉について触れている場面を複数回目にする機会がありました。

ふたたび、書きます。


「敬天愛人」


読んでしまえば、「天をうやまい、人を愛す」ということなのですが、

この言葉もそれだけではよくわかりません(正しくは、「天を敬し人を愛す」らしい)。

少し長くなりますが、本日はこれについて書きたいと思います。


今から150年前の慶應四年1月、京都の鳥羽・伏見にて戦端が開かれた戊辰戦争の

戦場はやがて、東北各地へと拡大し、会津戦争の悲劇はその代表的なものとして

よく知られています。

東北諸藩は、「奥羽越列藩同盟」を結成して、西郷率いる新政府軍に抵抗しますが、

その中で最後まで善戦し続けたのが、出羽庄内藩でした。

江戸期を通じて、現在の山形県鶴岡市を中心とする一帯を領した庄内藩・酒井家(左衛門

尉酒井家)は、かの徳川四天王のひとり、酒井忠次(さかい ただつぐ)の嫡流であり、

徳川譜代の中にあっては、三河松平家創業期からの最古参である特別な家柄。

鳥羽・伏見の開戦前、西郷が徳川を挑発すべく画策して行われた江戸市中での

薩摩系浪士たちによる度重なるテロ行為への報復として発生し、

鳥羽・伏見の戦いの発火点ともなった「江戸薩摩藩邸焼き討ち事件」の主たる実行者が

江戸市中の治安を預かる庄内藩でした。

当然、庄内藩は会津と共に討伐対象となりますが、攻め寄せてきた新政府軍に対して

頑強に抵抗、藩領への侵入を許さないほどの見事な戦いぶりをみせます。

しかし、会津が熾烈な籠城戦の末に降伏したことによって、列藩同盟はあえなく瓦解。

庄内藩も降伏を決意することとなったのですが、西郷の意向から、その処分は実に寛大な

ものであり、藩主・酒井忠篤(ただずみ)をはじめとする庄内藩の人たちは西郷の温情に対して

大変感謝したといいます(西郷のこの温情の裏には、武力討幕を目指す自分の狙い通りに

庄内藩が薩摩藩邸を焼き討ちしてくれた結果、戊辰の戦端が開かれるたことへの、

彼なりの感謝とも贖罪ともつかない複雑な感情があったとする見方もあります)。

これをきっかけとして、西郷と庄内藩の交流が始まったのですが、

庄内の人々の西郷(や薩摩)へのリスペクトは相当なもので、

西郷が「明治6年の政変」で下野し、鹿児島に私学校を創立すると、藩士子弟2名を

そこで学ばさせるために、わざわざ遠く離れた鹿児島へ留学させるほどだったのです。

そして、西南戦争が勃発。

先の留学生2名も従軍を熱望し、あえなく戦死を遂げていますが(この逸話は、30年前の

日テレ年末時代劇スペシャル『田原坂』で紹介されています)

旧庄内藩士たちの西郷への思慕の念は変わらず、大日本帝国憲法発布の恩赦で西郷の

名誉回復がなされた際、西郷の謦咳に接した人々が西郷から直接聞いた言葉の数々を

一冊の本にまとめています。

それが今も岩波文庫などで手軽に読むことができる『南洲翁遺訓』です。

ちなみに南洲とは西郷が使った雅号であり、南洲翁といえば、すなわち西郷のことを

さします。

この中に、さきほど触れた「敬天愛人」という考えについて、西郷自身の言葉によって

説明がなされています。


「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。

天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」。


私なりに意訳すると、


「道というのは天地が自然に生み出したものだから、人はこの道に従って行動すべき

であり、そのためにはまずは天を敬うことである。そして、天は自らも他人も平等に愛して

下さるのだから、自分を愛する心を以って他人を対することが大切である」


という感じでしょうか。

これをあらためて読み返してみると、何となく、当会の基本理念である

「愛するものは、愛される」と通じる部分を感じます。

実際、先ほどの関連番組で発言されていた人々の解釈を聞くと、

「自分を愛するように相手を敬い、愛を以って接すれば、相手も必ずそれに応えて、

自分を認めてくれる(愛してくれる)」

といったニュアンスが多かったのです。

私が日頃広報活動で行っている「愛するものは、愛される」の解釈ととても似ています。

前掲の『南洲翁遺訓』は、明治中期に刊行されて多くの人に読まれ、

特に「敬天愛人」は人口に膾炙され、以来今日に至るまで西郷を象徴する言葉として

世間に広まりました。

明治生まれの名古屋人である当会創設者が西郷崇拝者であったとは聞きませんが、

有名なこの言葉どこかで見聞きした可能性も否定できません。

あるいは、貧苦の境遇から身を起こして大成した人が人生経験の中で感得した、

きわめて普遍的な哲学的境地として共通しているといえなくもありませんが、

では、西郷という人がその50年の生涯を本当にこの言葉通りに生きたのかといえば、

実は決してそうではありません。

西郷と同時代の薩摩人で、幕末の薩英戦争ではかの五代様こと五代友厚らと共に

イギリス艦隊との交渉役を務め、一時期、奄美大島に流刑されて西郷とも交流を

育んだ明治の高名な歴史家である重野安繹(しげの やすつぐ)は、西郷について、

このように語り残しています。


「西郷は自身も自覚していたが、とかく敵を作り、その相手をひどく憎む

ところがあった。彼は豪傑肌であるが、大度量がある人物ではなく、むしろ

度量が狭い。だから、西南戦争が起こったのである。世間の人は大変度量の

広い人物と思っているが、それは表面的なものであり、敵を作りやすい性質である。

だから、それによって、自分も倒れたのだ」と。



彼は不正を憎む極めて潔癖な理想主義者でしたが、若いころの彼への評価は

決して良いものばかりではなく、とにかく好き嫌いが激しく、敵を作ることも多かった。

そんな性格ですから少年のころは喧嘩が絶えず、それによって生涯刀を振れない

ほどのケガを負っていますし、誰に対してもいいたいことやいうべきことははっきり

直言する(してしまう)タイプですから、官僚組織の中では決して穏当な存在ではなく、

結構面倒くさい人物だったようです。

しかし、だからこそコイツは使えると、島津斉彬は彼を自身の秘書官ともいうべき

庭方役に異例の抜擢をしたともいえます。

斉彬自身、西郷の力量を評価しつつ、自分でなければ使いこなせないともいっています。

そんな西郷ですから、斉彬の早すぎた死後、斉彬に代わって薩摩藩の最高権力者(

藩主の父親で、国父、副城公などと呼ばれた)となった斉彬の異母弟の久光と衝突を

繰り返し、久光に疎まれ、二度も遠島処分を受けていますし、久光派の側近たちとも

相当根深い対立があったのです。

それは維新が成ったあとも続き、新政府の中でも次第に浮いた存在となり、

ついには長年の盟友であった大久保利通とも袂をわかちます。

西郷が旧庄内藩士たちに語ったというのは、晩年の心境だと思いますから、

彼としてはこれまでの人生を振り返って自分のそうした欠点を自覚しつつ、

自分自身があるべき理想像として、自分には程遠い「敬天愛人」という思想をあえて

目標として掲げたのではないか。

つまり、「敬天愛人」という言葉のように自分は生きてきたというのではなく、

この言葉のように生きたい(生きたかった)」といった風なものだったのではないか。

私にはそう思えるのです。



さて、最後に「愛するものは、愛される」に戻ります。

この言葉を我々に遺した創立者も、さらに自分も含め当会で働く(働いてきた)

すべての職員が、この理想の通りに立派に生きている(仕事をしている)というつもり

はさらさらありません。

私など、むしろ全く真逆で(^_^.)、これまでの人生、自分自身の言動に自己嫌悪に陥る

こともしばしばあります。

完全無欠な人間なんているわけないですから、それは仕方が無いことだとは思う

ですが、しかし、こうした言葉が一つあるお蔭で、それに反する行動をとったり、

発言をしたりしたときに、ふと、そこに立ち返って自分のありようを振り返り、

その反省と後悔を次に生かすことができるといえるのです。

そういう意味でいえば、やはりこれは単なる言葉ではなく、大切な精神的支柱に

なっているといえます。

いいかえると、こうありたいと願う理想的な人間像があることで、

社会でも家庭でも地域においても、多少マシな生き方ができる(できている)かもしれない。

たとえ、毎日が失敗と反省の連続であったとしても。

西郷が「敬天愛人」といいつつ、その言葉通りに行動できず、むしろ反省と後悔と挫折多き

人生だったのと同じように。


「愛するものは、愛される」にしろ、「敬天愛人」にしろ、

所詮は空虚な理想論でしかないのかもしれません。

しかし、私は思います。

理想なくして、現実は決して良きものにはならないと。

逆に、理想からほど遠いからこそ、こうあらねばならないという理想は掲げ続けなければ

ならないといえます。

他人からは看板倒れだと笑われようが、言行が一致していないと後ろ指さされようが、

当会は、あくまでもこの理想を基本理念に掲げ続ける必要があるのです。

そして、この理念が、明治生まれの創立者の人生の中で育まれたことを考えれば、

実に100年以上という時間軸の中で今に継承されているものだともいうことができ、

それは決して伊達じゃないよ、一朝一夕にできるものではないよ、ということになります。

そんな思いを秘めながら、今年も悪戦苦闘しつつ、リクナビの原稿を書いているのです・・・





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敬・天・愛・人~『西郷どん』♯0

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