鹿児島本土の南540km、沖縄本島の北70kmに位置する沖永良部島。行政上は鹿児島県に
属するが、食事などの文化面は沖縄のそれに近い。隆起サンゴからなる美しい島に、
人口およそ1万4000人が住む。
「この島の人たちは、みんな温かい。島で唯一の病院として、私たちはそれを受け止める
義務があるんです」
こう語るのは、沖永良部徳洲会病院の佐々木紀仁院長。この島で生まれ育った、生粋の
“沖永良部人”である。
「働くことが美徳とされるこの島では、80歳を過ぎた方でも普通に農作業をします。本当なら
手術が必要なほど関節が傷ついた人でも、仕事をやめません。子どもの頃から親への尊敬
をたたき込まれ、自分が親になったらそれを子どもたちに伝える習慣もあります。
そんな気持ちを大切に、私たちも“心の医療”で応えたいと思っています」
沖永良部に移住した2人の若きドクター
この病院に、昨年5月から常勤医として加わったのが、腎臓内科の平野一部長と
小児科の徳涼子医師。平野部長は福岡県から、徳医師は三重県からの移住である。

「私は福岡大学を卒業した後、一時は福岡徳洲会病院にいたこともあります。当時の同僚が
沖永良部病院に応援に出ることになり、彼に誘われて遊びに来ました。そこでスキューバ
ダイビングを体験したら、見事にハマっちゃったんです(笑)」
と語る平野部長は、その後も何度となく沖永良部島を訪れた。同じ趣味をもつ友人が
増えるにつけ、沖永良部病院のスタッフとも知り合い、いつしか離島医療の厳しい現実を
知ることになる。腎臓内科医が主に診るのは透析患者さんだが、「全ての患者さんがつらく
大変な思いをされているのが透析医療です。
1回4時間、週3回行うわけですから、仕事もままなりません。医療資源に乏しい離島では、
病気が進行したときや合併症を起こしてしまったときの心配もあります」と言う。
やがて平野部長は、沖永良部への移住を決意。「求められる場所があるなら、そこに行く
のも医師のあり方。この沖永良部には、私が働く場所があると思えたんです」
平野部長は、徳洲会グループの徳之島病院や喜界病院も定期的に訪問し、奄美の
透析医療を一手に引き受けている。しかし、「私だけでは手が足りません。
もう1人腎臓内科医がいれば……」とも残念がる。
小児科の徳涼子医師は三重大学卒業後、同大学小児科に入局。自らも2度の出産を
経験しつつ、県内の総合病院などに勤務していた。「私の夫は沖永良部の出身で、何度も
一緒に里帰りに来ています。この島のよさはよく知っていましたので、移り住むことにも
まったく抵抗はなかったんです。2人の子どもたちにも、自然がたくさんある広々とした場所
で育ってほしいと思いました」
今、全国で強く叫ばれる“医療崩壊”。特に産婦人科と小児科は顕著な医師不足にあえぐ。
「医師としては未熟な私ですが、お母さんたちと同世代なので、外来診療を通じて子育ての悩み
を共有し、親子ともに生き生きと生活できるような支援をしたいと思っています。
わからないことがあると、以前の勤務先や鹿児島・沖縄の病院の先生に相談したり、
患者さんに受診してきていただいたりしています」
明るい性格で、いつも笑顔を絶やさない徳医師。帰宅後は、やさしいママに変身するという。
産婦人科を一手に引き受ける老医師
産婦人科で奮闘するのは、小林純郎医師。年間100~110件ほどある島内の分娩の
大半を扱っている。うち10件程度の帝王切開手術も自ら執刀するという、“スーパー77歳”である。

「産婦人科医が注意するのは、胎盤早期剥離、前置胎盤、妊娠中毒の3つです。しかし、新任の
先生たちが来てくれたことで、内科の佐々木院長(専門は循環器)を含め、妊婦さんのほとんどの
症状をサポートしてもらえます。未熟児の場合には徳先生がいますし、帝王切開は外科の
天野(博哉)副院長が手伝ってくれます。離島でこれほど充実した体制ができるなんて、
今でも信じられないぐらいです」
そう語る小林医師の表情には、医師歴50年というベテランならではの余裕と達観がある。
以前は、愛媛県内の病院などで勤務していた。
「65歳のときに、奄美の名瀬徳洲会病院に来ました。そこに7年ほど在籍し、その後で
沖永良部に移ってきたのです。ここ奄美は出生率が高い地域ですから、これからも住民の
皆さんのお力になれればと思っています」
長時間の勤務を続けても疲労を感じないと言う小林医師に、佐々木院長がこんな声をかける。
「小林先生は77歳という年齢なのに、深夜や早朝の出産にも平気で立ち会っておられます。
数年前に2度の大きな手術をされているのが心配ですが、医師の先輩としても見習う点は
多いので、これからも島のお産を支えてほしいと思います」
島のグループホームで“おだやかな介護”を
認知症のお年寄りが、症状の軽減や悪化予防を目的に共同生活をするグループホーム(GH)。
9名を1ユニットと数え、島内には5施設7ユニットがある。そのうち、「GHゆりの郷」と「GH岬」が
徳洲会グループの施設だ。
GHゆりの郷の沖良子管理者が言う。
「島内のどの施設も満室で、それぞれに待機者がおられます。高齢化が進む中、こうした
施設の不足は大きな問題ですが、業務面では特に変わったことは何もしていません。でも、
勤務するヘルパーには一つだけ条件があり、それは島の方言ができることなんです」
スタッフが施設内を走り回るような“騒々しい介護”は避け、“おだやかな介護”を心がけている
という。利用者さんに呼ばれたときも、スタッフは「ゆっくり急ごう」の気持ちで移動する。
「私は、『徘徊』という言葉も嫌いです。お年寄りは、必ず何か目的をもって歩いています。
孫が呼んでるとか、牛にエサをやるとか。ですから私は、“お散歩”や“運動”と呼んでいるんです」
利用者の方は73歳から98歳まで、それぞれ要介護1から5までと多様だが、共通しているのは一点。若い頃から、家族のために仕事ばかりしていたことだ。
「こちらの民謡に、労働の喜びを歌った『汗水節』というのがあるように、働くことがこの島の文化
なんです。当施設の利用者さんも、親きょうだいや子どものために必死で働いてきた方々。
私たちの使命は、方言の『うやほう』(お年寄りを指す尊敬語)に寄り添い、家族のように思って
ゆっくりと過ごしていただくことだと考えています」
沖永良部島の“心の医療”は、こうして介護の場にも貫かれている。