公益財団法人 住吉偕成会 住吉病院

甲府市の『公益財団法人 住吉偕成会 住吉病院 』の”エンパワメント”ブログ

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2015-01

小林弥生選手、ありがとう(1)

投稿時間 : 08時04分26秒

カテゴリー : サッカー

ジャンル : 指定なし

さる1月1日、サッカー女子日本選手権「皇后杯」の決勝が行われて日テレ・ベレーザが浦和レッズレディースを1-0で破り、2009年度大会以来、5大会ぶりとなる11度目の優勝を決めました。

 

タイムアップのホイッスルが鳴ったとき、私にとっての女子サッカー界の一人のレジェンドの現役生活も終わりました。小林弥生選手は東京都多摩市の出身で、小柄ながらもテクニックと戦術眼、そして素晴らしい笑顔と人間性を兼ね備えたユーティリティープレーヤーとして活躍してきました。
なでしこジャパンとしても、1999年の女子世界選手権、2003年の女子ワールドカップ、2004年のアテネ五輪メンバーに選出されるなど、日本代表戦54試合に出場して12得点をマークしている素晴らしい実績を持っていました。特に、アテネオリンピックにおいてスウェーデン戦で澤穂希選手に送ったロングフィードパスには身体が震えました。他に取り換え用のない選手として、長くサッカー女子日本代表の中盤を動かしていく選手に違いないと思っていました。今でも思い出します。雪のまだ残る元日の国立での選手権でのヴェルディとの兄妹優勝の年、ゴール裏のサポーターと満面の笑みで万歳する弥生選手のことを。
しかし、2005年、彼女は左膝前十字靭帯損傷の重傷を負ってしまいました。長く苦しい1年にわたるリハビリを終え、翌年日本代表に復帰を果たした弥生選手でしたが、合宿前日に、今度は逆足の右膝前十字・後十字靭帯、さらに半月板損傷にみまわれました。彼女の日本代表としてのキャリアはそれ以降は積み上げられることはありませんでした。それでも、弥生選手は高校の先輩・澤穂希選手とともにベレーザでプレーしてくれました。私は2007年に林健太郎選手がヴェルディからヴァンフォーレに移籍した後を追うように東京から甲府に勤務先を替えましたが、遠くから弥生選手を応援していました。澤選手を含む主力選手がベレーザから移籍していった後も、ベレーザの誇りと魂を受け継ぐものとして私たちに元気を与え続けてくれました。

ところが、またも不幸が訪れました。2012年、弥生選手は再び左膝前十字と半月板を損傷してしまったのです。年齢的にも30歳を超えての3度目の危機、心が折れても不思議ではないと思いました。それでも弥生選手はトレードマークの笑顔で苦境を乗り越えてくれました。その姿はベレーザの後輩チームメートだけではなく、クラブハウスを共用しているヴェルディの選手たち、そして私たちサポーターにもいつも勇気を与えてくれました。今の勤務先に保管してあるユニフォームを眺めながら、これからも弥生選手の笑顔と心折れない日々の取り組み、いつも全力でやり切ることを教わったこと、忘れないと思います。
長文になってしまいました。弥生選手とのことで忘れられないエピソードがありますが、それはまた後日書くことにします。

小林弥生選手、素晴らしいプレーをありがとうございました

 

最後までお読みいただいた方、どうもありがとうございました。