社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

高知県宿毛市にある『社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 』のブログ

投稿時間 : 15時45分21秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/8/22

 私は幡多希望の家の施設長をしているが、週に一度近くの筒井病院で外来診療を担当させていただいている。8月1日の木曜日にいつものように外来診療をしていた。病院に地元の警察署から電話での問い合わせが入ってきた。内容は80代の女性が自宅で亡くなっていた。死亡の原因を調べているので、協力を依頼する内容だった。筒井病院の外来へ通院中の方だったので、病状、通院の状況、投薬の内容、検査の状況を説明した。亡くなった女性は、前々日の7月30日に受診しており、特に変わったことは無かったこと。血液検査も実施しているが特に変化は無かったことなどを説明した。その後再度警察から連絡があり、死因究明のため、CT検査をお願いしたいとの話しであった。家族の了承があれば遣りましょうと伝えると、家族は了承してくれているとの事。それならば連れてきてくださいCT検査をしましょうと伝えた。

 このように、直接の死因がはっきりしない事例では亡くなったことが明らかでもCT検査をして死因を明らかにすることがあります。そのことをAiといいます。人工知能のことではなくて、英語ではAi、オートプシイー・イメージング、訳語では「死亡時画像診断」といいます。ちなみに人口知能の略号はAIです。

 この方も無くなってから直接死因を調べるためにCT検査を行いました。結果は、大動脈乖離を発症して、心タンポナーデの状態となり亡くなったことが分かりました。俳優の石原裕次郎さんが発症した病気ですね。御家族にはCT検査の結果では、突然の大動脈乖離によって大動脈が破れて心臓の入っている袋「心嚢」といいますが、その中に出血してその為心臓が拡がらなくなって、ほとんど苦しむまもなく亡くなられたでしょうと説明しました。この様な時には死亡診断書ではなくて死体検案書が発行されますが、後の手続きは死亡診断書と同じです。ご家族は亡くなった患者さんの隣に住んでおられて、当日の朝、家族の方が食事を持っていくと倒れているのに気づかれたようです。亡くなった原因がはっきりしたことと、苦しむまもなく亡くなったと聞いて家族は安心されていたようです。ちなみにこの検査は保険外診療なので実費を遺族の方に負担していただくことになります。CT検査、死体検案書の発行などで3万円程になります。

 私は、以前大正町(現四万十町大正)の診療所に勤めていましたが、平成17年に診療所が新築された時にCT装置を入れてもらいました。その当時はCTの撮影は自分でやっていました。ある時診療所のある地域から30分以上離れた集落に住んでいた高齢の一人暮らしの女性が自宅の風呂場の脱衣場で亡くなっているのが発見されました。直ちに救急隊が呼ばれて行ったのですが、亡くなっているのが明らかなので警察が呼ばれました。私も検視に立ち会うことになり現場に行きました。死因は明らかではありません。

 診療所近くに住んでいた長男の方が「お袋は苦しんだろうか」と問いかけてきます。私はこの状態では苦しむ暇も無く亡くなったと思うが、検査をしてみたらもっとはっきりするかも知れないよと話したところ、息子さんがぜひやってみてくれといいます。初めての経験でしたが、ではやりましょうと、診療所まで遺体を運んで来て貰ってCT検査をしてみたところ、頭部に激しいくも膜下出血を認めました。その画像を息子さんに見ていただいて、「これでは苦しむ暇はなかったろうね」と説明したところ息子さんが「これでほっとした、一人お袋を田舎においていたので死ぬ時に一人で長く苦しむようなことが無ければいいがと思っていたが、突然で辛いけど苦しまなかったことが救いだ」と涙を流しながら話していた。私はこれがきっかけで死因不明の方の死因を究明するために積極的にCT検査をするようになった。そうして外からでははっきりしない原因が見つかった事例をいくつか経験したのである。現在大正の診療所では、私がいたときに来てくれた放射線技師が積極的Aiに取り組んでくれて県下のAiを引っ張って行ってくれている。

 私は自分が勤めている希望の家にはCT装置が無いので、筒井病院のほうでCT検査が出来る時には協力できるがそうでない時には協力できない状態である。全国的にはAiを積極的に推進していこうとする動きがあるが地方ではまだまだの感がある。今後Aiが死因不明の方に全例行われるような時代になればいいがと思っている。

投稿時間 : 08時51分46秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/7/30

施設長 山本洋

 7月30日 やっと梅雨が明けて、今までのお返しとばかり夏の強い太陽がじりじりと照っている。今日は全国各地で気温が35度を超える猛暑日になる予想が出ている。熱中症の患者が少なければいいがと心配する。

 4日前の7月26日は忘れられない日である。3年前の明け方ラジオを聴いていた私は番組を中断して飛び込んできた「神奈川県の障害者施設で事件が会ったようだ」とのニュースを聞いた。その後も断続的にニュースが流れ、しだいに詳細が明らかになった。

 こともあろうに施設の元職員が、障害者施設に入所している人を狙って侵入して、呼びかけても返事がない人を次々に刺殺していったという。「意思疎通が取れない重度障害者は安楽死させるべき」と言う、なんとも偏見に満ち満ちた考えに従って凶行に及んだ。短い期間であれ実際に、障害者施設で勤務し介護の経験がある人間がこのような虐殺を行うとは、いまだに信じられない、仕事に就いていた時に彼は何を考えていたのだろう、どんな目で障害者の方を見ていたのだろうか?日々障害者の方と接していてどうして人間的な交流が持てなかったのだろうか?彼がしたのは決して安楽死ではなく、虐殺でしかない。

 事件があった当時、私は希望の家に赴任してまだ右も左も良く分からない中で日々の業務をこなしていた。それでも3ヶ月経つと入所者の顔と名前が一致して少しずつ、その入所者がいつごろから病を得てどのように生活してきたかを知るようになってきていた。入所者一人一人の背景にはそれぞれの複雑な物語があると知るようになった。そのような時期に起こった事件である。それから3年が経った。

 世の中は変わって来ているのだろうか。障害者の方々に向けられる目はより温かいものになっているのだろうか?正直それを実感できるようには思えない。しかし、少しずつでも変化はあるようだ。今年になって、旧優生保護法の元に強制的に不妊手術を受けさせられた被害者の方々に一律に一時金を支払う法律が成立した。しかしそれは自ら名乗り出ないと救済の対象になれないことや、補償額の面でも問題は山積している。また7月12日にはハンセン病の患者を強制的隔離する政策によって被害を受けた患者さん、そのご家族への損害賠償を国に命じた熊本地裁判決が確定した。それを受けて、24日安部首相はハンセン病家族に直接謝罪した。今後補償をめぐって様々な議論があるだろうが、速やかに補償が実行されることを期待したい。

 7月21日に投開票された参議院選挙では、比例区に れいわ新選組 から二人の重度の障害者の方が当選された。一人は難病のALSの患者さん、もう一人は脳性麻痺のある方。また岩手選挙区では、事故で脊髄を損傷し車椅子生活を送る男性が初当選を果たした。事故で下半身不随になった八代英太さん以来のこと。これは画期的な出来事ではなかろうか。今後三人が堂々と議会へ登庁されて、しっかりと自分達の公約や意見を開陳できることを期待したいと思う。こうしてみれば少しずつでも障害者の方に対する、健常者の方の見方が変化してきているのかと思われる。この動きがますます勢いを増していくことを願う。

 私はと言うと、ハンセン病の差別を生んだといわれる隔離政策を進めていった岡山県の長島愛生園の医師小川正子の書いた「小島の春」を最近始めて読んだ。

驚いたのはその本の冒頭に私が長年勤務した田野々診療所がある旧幡多郡大正町が出ていたことである。彼女は愛生園からハンセン病の患者を迎えに高知県に派遣されたのであるが、その最初の派遣先が高知県幡多郡大正町だったのである。

 私は岡山県備前市に生まれた、邑久郡の長島の愛生園はすぐ近くなのであるが訪れたことはない。そして私の所属していた岡山大学医学部第三内科教室から長島の病院へ医師を派遣していた。そこで勤務されていた医師と話したことはなかったので長島の内情はまったく知らなかった。

 不思議な巡り会わせだとおもった。今度岡山へ帰った時には一度長島を訪ねてみたいと今は思っている。



投稿時間 : 06時29分33秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/6/18

施設長 山本洋

  おーいで,皆さん聞いとくれ、と言う歌詞で始まる歌を知っている人は少なくなったでしょうね。こんな言葉ででも始めないとまじめに話すと、「そんな馬鹿な」と笑われそうな話です。

 時は8年ほど前に遡る。私は当時55歳。以前からであったが実際の年より若く見られることがよくあった。別にうれしいことではない。医師として働くには貫禄がないと思われるし、あまりに実際の年齢より若く言われると、子供扱いして馬鹿にしているのではないかと思ってあまりいい気分ではない。

 以前からの知り合いで、ある人に言わせると他に例のないほどの毒舌家の77歳の男性に、30台半ばに見えるといわれ憤慨した。確かに私の顔の造作は若く、更にはいつも着ている服のせいで、輪を掛けて若く見られるようである。

 しかし55歳になって色々な経験を経て、人生も半ばをかなり過ぎて、今後の残りの人生をいかに生くべきかを常に考えながら、残りの人生、それが今日までか、一ヶ月先か、一年も残っているのか、ひょっとしたら十年も二十年も残っているのか、それは誰も知りえないが、残りの期間を出来るだけ心身ともに健康で医療者として社会に貢献して行きたいと願っている医師である。(大嘘ですよ、ホラ話です。そんなに真面目に考えてなんかいる分けないじゃないですか、こんなことを書くと恥ずかしくて姿を消したくなりますね。)。

 そんな私が35歳位に見えるといわれて、少しは実年齢に近く見られるような対策を講ずるべく、件の毒舌家氏に、あごひげを伸ばすのはどうだろうと、相談したところそれはいいのではないかと言われてその気になった。しかしそのやり取りを聞いていたこの毒舌家の好敵手であるこちらも人後に落ちない毒舌家の女性、家族の一人のように何でも相談に乗ってくれる人は大反対、髭などは不必要と断固反対する。それなら付け髭はどうか、付け髭なら取り外し自由だし、何か一種の変身願望を刺激されるようで楽しい。私は調子に乗って鬘はどうか、とその場は大いに盛り上がったのである。

 さて翌日、ここからがある夏の終わりの白昼夢。

 私は当時体調を崩して毒舌家の彼女の家に居候していた。その女性の家の御主人、生まれはドイツ。現在はアメリカ国籍ではあるが日本での生活が長くなって、日常生活の日本語には不自由しないレベルになっている。

 その日私は調べ物があって岡山市内の図書館に行くつもりで家をでた。朝9時過ぎ、彼の家から15分ほど歩いたところにJRの駅があって、彼は散歩がてら、駅まで送ってくれた。電車の到着までに時間が有り、プラットホームに出て、二人で下手な日本語と下手な英語で話をしていた時に、同じ電車に乗って岡山方面へ行こうとしていた女性がホームに出てきた。年の頃なら60歳前半、上品な奥様風である。

 その彼女が我々に話しかけてきた。ドイツ人の彼に日本語がお上手ですねが最初の呼びかけである。私は、彼女に彼は採れたところはどこのドイツで、アメリカが長く、もう日本も10年以上ですから、日本語は達者ですよと紹介した。少し話していたら岡山市行きの電車が来て女性は電車に乗り込んだ。私は電車が来る前に携帯電話に仕事の話しが来てしゃべり、出発間際に慌てて電車に乗り込んだ。彼女は自分の隣の席を空けて待っていた。

 立っている人はほとんどいなかったが、座席は7割がた埋まっていた。電車の進行方向に平行に座席があり、彼女の隣に座った。12分ほど揺られたら岡山駅に着く。私は電車の窓からの風景が懐かしく何度も後ろへ振り返っていた。その様子を見ていた隣に座っていた先ほどの女性がまた話しかけてきて、

「珍しいですか」と問われた。

 私は「高校生の時にたまにこの電車を利用したことがあるので懐かしいのです。」と答えた。そうすると、「お幾つですか」と問うて来て更に「35歳ぐらい?」と尋ねてきた。

 私はのけぞってしまった。更に更に、彼女はあろう事か私のほうに顔を向けたまま、「あなたの唇は可愛いね、キスしたくなるようね!?。」と言うではないか。私は聞き間違えたかと思ったがそうではなかった。私は凍り付いてしまった。

 すると彼女は「話をしていると唇がもっと可愛いね、ほんとにキスしたくなるね!。」と宣うではないか。

 こちらはもう冷静ではいられなかったが、その時武蔵は少しも慌てずで、講談の世界ではないけれど、そこはそれ、こちらは百戦錬磨の医師、ホスピスでも2年間勤務している。心の動揺は少しも見せず、柔らかい微笑の表情、医師としてのプロが作る業務上の最高の笑顔を作って、もしここで私の唇の操が奪われるような行動に対しては、すぐさま避けられるように心と身体の準備をして、唇の話題ははずしながら、話を聴くことにした。何と興味深い体験、そして医師の目から見て何かしら病的な徴候はないかと観察を開始した。

 彼女はキリスト教会に通っていること、そこに西洋人の神父さんがいて英語を話すこともあり、少しは英語の勉強もしていたこともあって英語で話しかけられても対応できること。彼女の伴侶は10以上年前に亡くなっていて、50歳過ぎであったこと、伴侶とは二つ違いだったこと、猛烈な会社員であったこと、息子は二人いるが、二人とも岡山を離れているので、今は一人暮らしをしていることなどを話した。

 しばらくして「私はいくつに見えるか」と尋ねてきた。

 私は先ほど伺ったことから考えると60歳を少し過ぎた頃ですかと答えているうちに電車の終着駅の岡山駅に着いた。二人でプラットホームに降り立って、私は二階の中央出口に行きますからと話すと彼女も、私もそうですとまた一緒に歩いた。それから私は、岡山で勉強して医師になって今は高知県の田舎の診療所に勤めていること、両親は岡山で健在でいることを話した。彼女は、私が医師であると告げたとたんに顔つきが変わり、大変失礼しましたと謝罪の言葉を残して、二階の出口でそそくさと左右に別れた。

 私は彼女が気になった、そこで立ち止まって彼女の姿を追ってみた。すると彼女は改札口を出て右へすぐに歩いていった、西口方向である。しかし20mも行くと突然くるりときびすを返して、今度は私の方へ歩いてきた。私は少し離れていたので、彼女は気がつかなかったのか、気がついても気がつかないふりをしたのか、全く知らない顔をして反対方向の東出口方面に歩いていって姿を消した。その姿を見ながら、さっきの出来事は一体なんだったんだろうかと、繰り返し反芻しながら、彼女は寂しく、精神を病んでいるのだと思った。

 それからわれに返って、昨日毒舌家氏に言われたように絶対髭を生やす、ちょび髭しか生えなければ止めて、付け髭でも鬘でもつけて、年齢相応に少しでも外見を変えてやる。毒舌家氏は時代劇大好き人間で奈良県西大寺在住だから、時代劇の撮影をするための小道具を手に入れることは朝飯前だと思う。彼に頼んで付け髭、鬘を手に入れてやる。

 二度と一回り近い女性にナンパされる様な事は絶対に拒否、断固として拒否する、相手もそんな気持ちが夢にも起こらないようにしてやると心に誓っていたのである。

 夕方居候宅に帰ってこの話をしたら、皆に腹を抱えて大笑いをされた。そして私は奈良県在住の毒舌家氏に髭の購入の依頼をして、身も心も変身することを心に決めたのである。

 そう言えば、30年以上前にこの夫婦がニューヨークに住んでいたときに、私は大学の夏休みを利用して二ヶ月の間居候した。その時も妙に、彼らのアメリカ人の男性の友人に気に入られて、このままアメリカに住んだらどうだ、医者になりたいなら此方で医大に行かせてやると言われて、彼にこんな事を言われたとこの夫婦に話したら、その時も大笑いされて、洋、気をつけろ、彼は大金持ちだけどね、危ないよ。

 当時は22歳であったが、16.7歳の可愛らしいアジアの男の子と思われていたらしい。笑われてやっと気がついた。この夫婦とは何でこんな事に縁があるのだろうと思わずにはいられなかったのである。

 男子三日会わざれば、かつ目して遇すべし、とは古来の中国の諺である。人として日々成長しているとはおこがましくて申せませんが、その時は病気療養中、復職した時には付け髭、鬘を身につけて別人の顔で仕事をしている自分を想像して、一人でにやつきながら大変な一日を振り返りながらその日は眠りに着いたのである。

 さー今は御年数えて62歳、8月がくれば63歳。三回の手術を受けて抗癌剤を内服中。鏡なんかほとんど見たことはない。一体今自分は何歳に見えるのだろうか?同じ姿勢でいると腰が痛くなって立ち上がると腰が曲がっていることがある。自分で年齢を感じる時である。あーあ。


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