社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

高知県宿毛市にある『社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 』のブログ

約束

2019-11-18

投稿時間 : 14時25分21秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

施設長 山本洋

今日は11月18日、3年前に高知医療センターで膵臓癌の手術を受けた日である。手術前の話し、その時の主治医は3年は保証すると言ってくれた。手術後の話では思った以上に腫瘍が大きかったが、3年は約束します、5年目指して頑張りましょうと言ってくれた。その通り今日でまる3年経った。再発を告げられたが以前の主治医とのy約束の目標の5年を目指して頑張ろう。前にも書いたが執刀してくれた主治医は私より5年は若いはずであるが、今は鬼籍に入ってしまった。人の寿命は判らない。正直、なんで私ではなくて彼が先なんだと思う。なんとも言えない寂しさと悔しさがある。彼はもっともっとするべき仕事があったのにと思う。しかし今は我が身のことを考えるしかない。生かされているのだろうなと思う。少しでも生かされている時間を他者のために役立て行かなきゃと思う。

今日夕方、幡多希望の家の次の施設長を探すためにけんみん病院の先生と面談した。小児科の島田先生である。先生は大学を卒業した後、そのころは学生紛争が激しかったころで、大学に残る選択肢をやめて大阪の淀川キリスト教病院に就職された言われた。先生はキリスト者である。そこではアメリカ帰りの優秀な医師がおられて、今で言うベッドサイドティーチングで徹底的に鍛えられたと話されていた。就職後5年間の間に自宅に帰ったのはわずか2日だった言う。独身だったからよかったけど、今ならとても許されなかったでしょうねと、懐かしく思い出されていたのが印象的である。先生はこうも言われた、しかしその5年間つらいと思ったことは一度もなかった。楽しかった思い出しかないと言われる。そこでは虫垂炎の手術も、お産も経験した。お産は200人以上私がとり上げましたよと話されている。私にも同じような時期があった、内科の医師として10年の経験を積んで将来は人生の最後の時期、いろいろな病気の終末期を診ることのできる医師になりたいと赤穂市民病院の麻酔科の門をたたいた。そこで過ごした3年半の時間はそれ以後の医師人生において大きな糧になった、手術室での全身麻酔の技術、集中治療室での診療、ペインコントロールの技術、救急医療現場での診療。正直あの本当に忙しかった時間を経験したことが、その後の高知県の中山間にある大正診療所での医療に繋がったと思っている。その時に指導してもらった医師に感謝してもし過ぎることはない。残念ながら医師として働ける時間は長くはないだろうと思う。こんな状況ではある有難いことにまだ必要とされている場所がある。細く長くても良い、少しでも役に立てることがあればそれにこたえねばと思う。

毎度尾籠な話ではあるが、今朝排出した便を見ると、昨日食べた野菜が形のまま出てきているではないか!出てきてくれるのは有難いが食べたものが腸をそのまま素通りしてきては何の栄養にもなっていない。室町時代の禅僧一休和尚が、人間はしょせん糞袋と言ったとか聞くが(本当は違うようだが)、消化を全くされずに食べたものが出てくるようでは、糞袋にもならない。これは困ったと考えるが、昨日も夕食を食べた後具合が悪くなって何度か嘔吐した。おなかの痛みに耐えながら我慢して寝ているといると、おなかの中は特急列車が走るように、グルグルと言う音が隣の部屋にいる妻にも聞こえるのではないかと思えるほどである。小腸が激しく動いて内容物を大腸の方へ送っている。1時間もすれば音がしなくなる。内容物が大腸へ到達したようだ。これで眠れる。後は明日の朝の事。

翌朝は便意で目が覚める。すぐにトイレに駆け込む。排ガスが凄い、続いて排便がある。昨日夜頭に描いたようなものが出ている。あ~あである、せっかく食べたのにと思うが仕方がない。様子を見ていくしかない。

投稿時間 : 10時22分48秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

施設長 山本洋

先日14日に医療センターで2回目の抗がん剤治療をl受けてきた。7日の当日の検査では白血球は6830 しかし14日の朝は2730にまで減少していた。この調子で白血球が減少すれば、次回3回目はスキップすることになるかもしれませんと、主治医に告げられて化学療法室に向かった。1回の抗がん剤の投与でこれだけ、白血球が減少するようでは先が思いやられるなーと思いながらリクライニングシートに横になって2回目を開始する。以前新聞の書評欄で見つけて一度読んでいた、坂井律子氏の「いのちとがん、患者となって考えたこと」岩波新書を点滴を受けながら再度読んでいる。坂井さんはNHKの元総合テレビ編集局長、私より5か月前の平成28年6月に膵臓癌で手術をうけていた。手術後TS-1の内服治療を受けたが、再発が認められ点滴での抗がん剤治療を受けている。再再発が告げられた2月からこの本を執筆されたようである。過酷な抗がん剤の副作用と闘いながら体調のいい時を見計らっての執筆であったと書いている。すごいエネルギーだなと思いながら読んでいる。自分が今まさに投与されている、アブラキサン+ジェムザールの治療についても言及している。残念ながら彼女は私よりも白血球減少が強かったようで、なかなかレジメン通りには投与できなかったと書いている。そして結局彼女の膵臓癌にはこの組み合わせは効果が無かったようで、2か月後に腫瘍の増大が認められ中止となった。

次に進むのはmFOLFIRINOXこれは強烈な副作用がついて回るようである。現在標準治療として膵臓癌に認められているのは3種類しかない。はじめはTS-1の内服治療、これが効果がなければ次はアブラキサン+ジェムザール、さらに最後に控えるのがmFOLFIRINOXの抗がん剤の組み合わせで、まーいわばある意味では真打かな。。これは4種類の抗がん剤の組み合わせカクテルである。その凄まじい副作用の記述には今からおののいている。しかしいつか自分もこの道へ進んでいくのかと嘆きながら今の薬に期待している。

先週は便秘に苦しんだ、便秘は一度起こすと、肛門に近いところに鎮座している水分が吸収されて固くなった便が栓をしたようになって、下手に腸管を刺激して便を出そうとするととんでもない痛みを生じてくることがある。もともと便秘症であり、内服している薬剤の副作用でもあるのだが、ここ近年の開腹手術に伴う癒着による便秘症にも悩まされてきた。緩下剤を数種類内服しながら排便コントロールをしてきた。さらに今回、抗がん剤の投与に伴う嘔気止めの薬剤投与がさらに便秘傾向に拍車をかけたようである。先週は痛みと腹満で、食事もなかなか進まない感じであったが、やっと硬便が出てその後からは順調に排便がある。しかし下剤の調節がなかなか難しい。夜中に腸のねじり上げるような感覚があり便意もある、痛みに目が覚める。トイレに行かなきゃと思うが体が金縛りにあったようで動かない。布団の中でじっと耐えている。なんとか便が漏れるのは回避できたようだ。夜明けにはまだ早い。今から動く気にはならない。じっと耐えるしかない。またうとうとしていたようだ。やっと窓からの光が明るくなってきた。もう起きても大丈夫かと思いながら身支度を整える。

トイレに行く、排便がある、それに向かってよく出てきてくれたと感謝する。さあ副作用との戦いは始まったばかり。便秘との戦いは今まで医師として培ってきた知識で対応がなんとかできるがこれからのことは対応が難しい。発熱性好中球減少症(FN)これが出てくれば緊急事態になる。その時には高知市まで走るか、宿毛で対応するかどうしたらいいか考える。まだまだ副作用との戦いは続く。医療者である自分ですらこの始末、一般の患者さんの苦しみと悩みは幾ばかりかと考える。

脱毛が見え始めた。髪の毛が抜け始めた。すっと髪の毛をすくと10本ぐらいの髪の毛が抜けてくる。いよいよ来たかと考える。土曜日にスポーツ刈りにしてきたので、脱毛の量は大したことはない。また下半身に、ピリピリするような異常感覚を感じる。これもうわさに聞く副作用の現われかと考える。末梢神経障害の出現率は63%正座した後の回復していくときのピリピリした感じである。やはりいろいろ出てくるなという思いが強くなる。さーこれからが本格的な副作用との戦いである。負けてはおられない。頑張るしかない。

昨日夕方に栄養を少しでも補うべく、以前購入していた経腸栄養剤を飲んでみた。しばらくすると猛烈におなかの痛みが出てきた。吐き気も強い。何度もトイレに行って嘔吐した、七転八倒の苦しみである。思わずトイレで叫んでいる。浸透圧の高い栄養剤が一挙に小腸に流れたために起こった出来事と考えた。今までは吻合部の狭窄があり飲んだ栄養剤が急激に小腸に流れて行かなかったために症状が出なかったのであろう。今は吻合部の狭窄が改善しているために,服用した栄養剤が急速に小腸に流れて症状が出たと考えられた。良いことと、悪いことが同時に起こってきている。日々変化する身体に相談しながら対処するしかないと思う。毎日が新しい経験である。これも面白いかなと苦笑する日々である。退屈はしない。

投稿時間 : 06時48分38秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

施設長 山本洋

今年も早や霜月になった。令和元年も残すところ2か月になった。思えば今年もいろいろあった。春先から出現した食後の嘔吐、やっと9月になって胃十二指腸の吻合部の狭窄が判明した。一度内科的に処置をしたが効果が無く、外科的にバイパス手術をすることになった。8月に白内障の手術を受けて、今年3回目の入院である。10月14日に手術を受けて地元の病院での加療を経て31日に退院して翌日から勤務に就いた。勤務していいのかなと自問自答しながらの勤務であった。先週から抗がん剤治療が始まった。週に一回、3週続けて1週休み。その都度その朝に血液検査をして治療が可能か、判定して実施する。白血球数、血小板数、その他の異常があれば、その日は休みとならざるをえない。しばらくは手探りで実施していく。

思い起こしてみれば3年前の平成28年4月に定期検診を受けて異常なしと診断され、5月1日から幡多希望の家に赴任した、そのわずか半年後に膵臓腫瘍を指摘され2週間もしないうちに手術台の上に乗った。主治医は3年は大丈夫だと思うが、5年頑張りましょうと話してくれた。私より若いその主治医も今は鬼籍に入ってしまった。人の運命は解らない。誰が長く生きるか本当に不思議な気がする。私の母親は満年齢で87歳で健在であるが、身近の人々が次第にいなくなっていくのが寂しくてかなわないと嘆いている。自分はもう早く逝きたい。息子のお前よりは早く逝きたいと話しているが、こればかりかは神のみぞ知るの世界である。長く生きると言うことは、親しい人をたくさん順番に見送ると言う宿命がある。それも寂しい体験だと思う。

今朝ニュースを見ていたら、110歳以上の長命の人が日本に140人程いるがその中の健康な男女7人の血液検査をすると、ある種類の免疫細胞が突出して高い値が認められたと理化学研究所、慶応大学のグループが発表したと報道されていた。外部から侵入してくる病原微生物や、常に生まれてくる癌細胞を率先して攻撃してくれる細胞がたくさんあれば長生きするのも道理かと思うが、生まれつき多く持っているのか、何か後天的な働きでそのような細胞が多くなっていく人が長生きするのかは不明である。白血球のある種類の細胞の多い少ないだけで長命が決まる分けではないだろう。そのほかの要因も当然関わってくるだろうし、それ程単純な問題ではないだろうと思う。今後の研究が俟たれるところである。

先週抗がん剤治療をしてその足で岡山に帰った。治療を2回3回とすればこの薬剤は脱毛が必至、治療を隠すわけにはいかなくなるので、早めに帰って母の用事を済ませて、高知に帰ってきた。例年に比べればまだまだ寒さは厳しくないが、今朝5時半に外に出てみると月が光輝いている。その光に負けずに冬の星座のオリオン座が輝いている。次第に朝の光が強くなっていく。人一人の寿命なぞは、地球の歴史から見ればほんの一瞬にも満たない。その地球の歴史も宇宙の歴史から考えればほんのlわずかの輝きでしかない。悩んでも仕方がない、今できること、それが本当に正しいことかを常に振り返りながら日々を過ごしていかなければと思うこの頃である。

社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

カレンダー

2019年12月

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の記事5件

最近のコメント

現在、コメントはありません。

プロフィール

社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 
医療型障害児入所施設・療養介護事業

〒788-0782
高知県宿毛市平田町中山867
TEL:0880-66-2212
FAX:0880-66-2215


カテゴリー

最近のトラックバック

現在、トラックバックはありません。

携帯版

リンク