社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

高知県宿毛市にある『社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 』のブログ

千客万来②

2019-10-08

投稿時間 : 15時21分23秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/10/8

施設長 山本洋

 先日は我が家に訪れるお客さんの話を書きました。今日は我が家ではなく、、希望の家に訪れた珍客さんのお話をしましょう。ハンセン病の続きは次回です。

 昨日昼間、病棟と通所サービスの施設とをつなぐ廊下を歩いていると、床をこそこそと動き回る生き物を見つけました。

 全身は黒色で翅はなく上から見るとなかなかかっこいいなと思いました。夜中住宅の中を走り回るゴキブリ君とは明らかに違います。

 大きさは4センチはありそうです。捕まえて袋に入れて観察すると、真っ黒で小判型で鎧を着たようにみえます。足はギザギザで6本あります。形からするとやはりゴキブリ君に近いかなと思えます。

 インターネットで調べてみると、「おおごきぶり」の幼虫のようでした。森の中で生活して主に朽ち木の中で集団生活をすると書いてありました。なんでそんなゴキブリ君の幼虫が施設の廊下でうろうろしていたのかは、わかりませんが、写真を撮って早々に山に帰ってもらいました。

 家の中、暗いところでごそごそと動き回って目に付くのは、チャバネゴキブリクロゴキブリワモンゴキブリですがこれらは元々外来種です。つまり昔々といってもいつごろかわかりませんが外国からのお客さんです。出身はアフリカと推測されています。今は世界中の温かいところに広がっています。日本固有のはヤマトゴキブリなどがいます。現在日本には50種類ほどが生息しているそうですが、そのほとんどは森林生活者です。ゴキブリの歴史は長く3億年前から生息していたと推測されています。生きている化石といわれる由縁です。

 日本では嫌われ者の代表選手のような存在ですが外国ではそうでもなくてペットとして飼っている人も多いと聞きます、結構人気があるようです。その姿を見ると結構きれいな姿をしているものが多く、これならペットでもおかしくないかと感じた次第です。今回見つけたオオゴキブリ君はネットで調べると50匹で一万円近い値段でオークションに出ていました。どうするんだろうと想像しますがあまりかかわり合いたくないですのでそれ以上の追及はやめました。


投稿時間 : 11時25分03秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/10/6


施設長 山本洋

 今回は少し重い話になります。差別について考えてみたいと思います。今勤務している重症心身障害児者施設に入所している方々の中にもいわれのない差別を受けたことのある方がいると思います。本人のみならず、家族の方にも差別を受けたことがある人がいるでしょう。本人家族への差別だけではなく、昔高知県で初めて重症心身障害者の施設を高知県東部で開設しようとした時に、ほとんど決まっていた土地の周辺の住民が、水が汚染される、環境が汚染される、病気がうつるなどと反対運動をして結局開設の土地を変更しなければ行けなかったことがあったと聞いています。今考えればなんということはない問題だと思いますが、その当時は、反対した当事者は無知のゆえになしたことであろうと思います。

 同じようにいろいろな疾病で差別をうけている人がいます。歴史的に見ればやはりハンセン病の患者さんの受けた差別は凄まじいものがあります。ハンセン病の歴史は古く日本では、奈良時代の日本書紀や令義解に白癩という言葉が出ており、これが現在のハンセン病ではないかとされています。そしてハンセン病患者を収容・救済するために鎌倉時代には、奈良に「北山十八間戸」が僧忍性によって設立され、救済活動が行われています。

 現在では広く知られるようになっていますが、ハンセン病はらい菌によって引き起こされる感染症ですが、その感染力は著しく低く、殊に大人同士での伝染はほとんど見られません。また潜伏期間が長く、適切な治療がなされずに病状が進行すると、皮膚や神経組織などを侵し相貌にも著しい病変を引き起こします。これらの理由から古い時代には、前世の悪業の報いによる業病であるなどとされていました。天刑病などとも呼ばれ忌避の対象になっていました。ノルウェーの医師ハンセンが1873年にらい菌を発見するまでは、遺伝的な疾病であるとも信じられ、患者、家族は様々な偏見や差別に苛まれました。近代になると強引な隔離が行われるようになり、日本では1931年の「らい予防法」により、終身隔離・患者撲滅政策が強硬されました。新憲法下にあって治療法が確立されつつあった1953年になっても、患者らの反対を尻目に強制隔離政策を永続・固定化する「らい予防法」が制定され、1996年まで継続しました。そしてハンセン病の元患者13人が人間としての尊厳の回復を目的として、1998年に国家賠償請求訴訟を起こして2001年5月に熊本地裁は「らい予防法は日本国憲法に明らかに違反すること、厚生大臣、国会議員の立法の不作為が違法且つ有責であってすべてのハンセン病患者に対して、隔離と差別により取り返すことが出来ない、極めて深刻な人生被害を作出したと明確に認定しました。その時の総理大臣である小泉首相は、高等裁判所への控訴を断念して地裁の判決が確定しました。そのあとのいろいろな裁判などのことは新聞の報道などでご存じの方も多いでしょう。

 最近私は岡山県の長島にある元ハンセン病患者の療養所である愛生園を訪問してきました。正式名称は国立療養所長島愛生園といいます。今年の4月1日の時点では155人の方が生活されています。現在ハンセン病の治療を受けている人はいません。愛生園で最後に治療したのは昭和46年であったと聞きました。高知出身の方は2名おられるようです。歴史館を見学して、愛生園の歴史を知り自治会長さんのお話をお聞きしました。大変な苦労をされてきたようです。国の政策として強制隔離が大規模に進められて、愛生園では昭和18年に2021名の患者が入所していました。日本では新規の患者はほとんどいなくなっています。現在は子供の時に感染した外国人の方が日本に来て発症するケースが散見されるようです。

 この強制隔離については、批判が強くなぜ1953年に治療法が確立されてきているのにさらに強制隔離を進めていったのか。これに関わった医療者には大きな責任問題があるように思います。このことについてはまた次回に譲りたいと思います。次回もハンセン病を取り上げます。

投稿時間 : 12時32分41秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

2019/10/2


施設長 山本洋

先月の中旬、高知医療センターで白内障の手術を受けた。

 両眼の手術を受けて、経過は順調。術前に比べれば、モノが大きく見えて、慣れるのに時間がかかる。今は、眼鏡なしで本が読める。小学校2年生の春の検診で、視力低下を指摘された。確か0.2程度、前年は異常はなかった。眼科受診したが結局眼鏡が必要と診断されて、それ以来眼鏡をかけている。だから54年ぶりに眼鏡なしで読書していることになる。それは有難いことであるが、レンズの種類の影響で、遠くを見るときには眼鏡が必要になる。しかし眼鏡なしでも日常の生活にはあまり支障がないため、眼鏡なしでの生活を楽しんでいたが、今度は必要な時に眼鏡がなく、眼鏡無しで、眼鏡を探さないといけない事態が出てきた。思わぬ副作用である。遠くが見えにくい中で眼鏡を探すのは、健常な人には想像がむつかしいだろうが、なかなか難しい。それが二回、三回になってくると腹が立ってきて、ついに眼鏡のフレームにかける紐を買ってつけるようになった。

 今度は不要な時には外して、眼鏡は紐にぶら下がっているので、必要になればすぐにかけることができる。便利になったと思ったが、私は内科医なので、聴診器を使用する。何時ものように聴診器を肩にかけていると、何時の間にか紐に絡まってしまって、聴診器を使おうとすると、紐と一緒に眼鏡が外れてしまう。また思わぬ副作用が出現してしまった。昼間聴診器を使うときには紐なしで、聴診器を使わない時間は紐をつjけて使用しているが、面倒くさいことこのうえない。しかし、眼鏡無しの生活が少しでも出来るようになったのだから有難いことなので、慣れていくしかないとあきらめている。

 私はこれまで開腹手術を三回受けている。それぞれ違った腫瘍の切除を受けている。

 一度目は普通の胃癌、二回目は残胃のデスモイド腫瘍、三回目は普通の膵臓癌、最近食後に嘔吐が続くことがあり検査を受けたところ、胃と十二指腸の吻合部が狭くなっているのが判明した。腫瘍の再発なのか、それとも術後の癒着による狭窄なのか、腫瘍の再発としたら、どの腫瘍の再発なのか?これから検査をしていかなければ分からないが、手術後の癒着による狭窄という合併症ならば話が簡単であるがどうなるか。

 諸検査の結果、腫瘍の再発ではないだろうと、しかし狭窄があるのは間違いないので拡張術をしましょうと診断された。内視鏡下で、バルーン拡張術をやってみることになった。これでうまくいけば言うことなしだが、効果がなければまた開腹して胃十二指腸吻合術をしていくことになる。もう開腹手術は避けたいなと思うが、どうなることやら。

 10月2日、今日はこれから入院である。午後から処置を受けることになる。主治医に頑張ってもらうしかないが、自分では上手くいきますように祈るしかない。