社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

高知県宿毛市にある『社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 』のブログ

投稿時間 : 15時26分38秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 指定なし

あけましておめでとうございます。

令和2年1月12日、幡多希望の家主催の成人式が行われた。平成29年1月以来である。私にとってはこの施設での2回目の成人式である。今回成人式を迎えたのは河野直人さん、吉尾凛さんの二人である。

無事成人を迎えられたお二人のご家族の皆様方に心からお慶び申し上げます。

河野直人さんが平成12313日に誕生されてから、今日までの20年近い年月の間、直人さんはたくさんの病と闘って来られたことは想像に難くありません。その長く厳しい病との闘いの中で直人さんを支え続けてきたご家族には、私には想像も付かないご苦労があったと思います。

今日そのご苦労のほんの一部が報われて、直人さんが成人の日を迎えられました。

直人さんのご家族の方々、これまで直人さん家族の方々を長年支えてこられたすべての関係者の皆様に深い敬意を払うとともに、一緒に喜びを分かち合いたいと思います。

また吉尾凛さん。もうすぐ18歳という青春の一番輝いている時期、この先無限の可能性が広がっていく、希望に満ちた時期に突然見舞われた交通事故による重大な障害。ご家族にとってはなんとも残念な結果であったと思われます。

私は平成28年の5月に希望の家に赴任してまいりました。7月に神奈川県の知的障害者施設で痛ましい事件がありました。そしてその事件の裁判が先日から始まりました。被害者の名前は何故かほとんど匿名です。なぜきちっとした本名が出ないのか?亡くなってからでも彼らには一人の長年生きてきた人としての人権はないのかと思います。事件の加害者の言葉、社会に役に立たない人は生きていく価値がない。なんと切ない言葉なのでしょうか。社会に役に立つとか立たないとかの価値判断はだれがするのか、社会とは何なのか?国家の事?地域の事?家族の事?。

私は高知県の中山間地域で長く住み慣れた地域で完結できるような医療に携わってきました。癌を初め現代の医療では治癒を目指すことが出来ない病者の看取りを在宅医療を含めた地域医療を実践してきました。

その中で学んだ言葉の一つに、not doing but beingがあります。あなたが苦しんでいる病を治す手立てを私は持っていない、あなたの病を治すことはできないけれど、でも私はあなたのそばにいますよ、決してあなた一人にはしませんよ という意味の言葉だと私は理解してきました。

今日はその言葉を逆の立場から考えてみたいと思います。それは、あなた方の子供たちが発するメッセージです。障害のレベルは様々です、全く周囲の状況を理解できない人もいます、しかし他者の言葉等をしっかり理解している人もいます、しかし理解出来ていても、理解していることをしっかり表現することが出来ないだけの人もいます。しかしみんなが、not  doing enough but being のメッセージを発しているのです。健常な子供たちと同じようには充分に表せないけれど、僕たちは精一杯感謝の気持ちをもっているよ。お母さん、僕は頑張って生きていくよ、頑張って生きてお母さんを一人にはしないよ。お母さんのそばにいるよ。そんなメッセージをそれぞれが発しています。我々、受け手側はそれをしっかりと受けることが出来ているか?彼らが発することは具体的な事柄としては小さいことでしかない。でもそれは受け手側の感受性によってはものすごく大きなことになりえる力を備えていると思います。いろいろな意味での弱者から発せられるメッセージをしっかりと受け止められる力を我々は育てていかなければいけないと思っています。

生まれてから後、健常な発達を遂げ、社会の中で自立して生活をして、家族をなし、次の世代を育て、そして老いていく。ゆっくりと老い次第に衰弱していくものあれば、急な病で障害を得て衰弱していく者もある。健常な状態からさまざまな原因で障害を得て自立した生活が出来なくなると、人はともすると、自分は役立たずになってしまったから、もう駄目だと思うようになりがちで、そのような人をたくさん診てきました。

生まれついての病のための障害であれ、生まれてからの病や事故のための障害であれその人たちの生活の中にあるゆっくりとした小さくても確かな変化を、日々の生活を援助する介護者たちがそれに気づき、ともに育てそして喜ぶ。その様な社会が実現できてこそ、高齢者が自力で食事が出来なくなっても、自力で排泄が出来なくなっても、そのことをご本人も社会もそのままで受け入れて、でもその中で日々の変化を前向きに捉え、ともに喜べる社会が実現できるのではないかと考えています。

そのためには、直人さんや凛さんのような重症の障害を持った人たちに輝いてもらわなければなりません。これからのお二人の活躍を祈念して今日の言葉にしたいと思います。



施設長 山本洋

投稿時間 : 14時24分44秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

施設長 山本洋

11月21日、3回目の化学療法(抗がん剤治療)を受けるべく高知医療センターを受診した。治療の前の血液検査で残念ながら白血球、好中球、血小板が基準よりかなり低下しているため、3回目の治療はスキップすることになった。白血球(1540)好中球(422)血小板(9.9万)である。18日に検査した時点では14日の値より改善していたので、何とかなるかと出向いたがそうはやはり問屋が許さないと言う所かなと納得して引き帰さざるを得ない。骨髄機能(血液の細胞を作る働き)抑制が回復するまでは隔離の状態にならざるを得ない。抗がん剤による骨髄抑制のため、最も白血球が減少する時期は抗がん剤投与後10日から14日にピークを迎えその後回復するパターンであるはず(最も少なくなる時をナディアと呼ぶ)。それまでは息をひそめて、副作用の嵐が頭上を過ぎ去るまでは頭を低くしてやり過ごすしかない。

今日は25日(月曜日)希望の家で血液検査をした。残念ながらまだ白血球は1700 好中球は480でまだまだ低い。しかし血小板が27.4万に回復している。これなら時間が薬で回復してくるかなと思う。しかし高知から来てくださっている医師に報告すると、病棟で発熱者が複数出ているから、病棟への立ち入りはやめた方がいいと言われて、施設長室に引きこもっている。

27日の検査では白血球1300 好中球190、幸い熱は出ていないので経過を診る。14日に抗がん剤を投与して12日目である。そろそろナディアか?

ここ4日程で、予測されていた副作用の一つである脱毛が激しくなってきた。人から見るとさぞおかしかろうと思い、本気で昨日はバリカンや髭剃りで頭をそってしまおうかと考えたが、血小板が少なくなっているのに頭皮を傷つけてもよくないと断念していた。今朝職員から先生頭がすっきりしましたねと言われた。抗がん剤の影響で抜けてきたからねと話すが、その職員曰く先生髪が短い方がいいですよ、その方が似合ってますと言われた。自分は薬の影響でさぞみっともない状態になっていると思い、外では寒さもあって帽子をかぶるようにしていたが、院内ではそうもいかずどうしたもんかと考えていたが、やはり自意識過剰かなと考えしまう。成り行きに任せるかとも思うようになっている。それでも、風が吹くと頭の皮膚に寒気を感じるのはやはり今までではないと感じる。

病棟詰め所で電子カルテの前に座っていて、その後ろを人が歩くと空気が動く、風とも呼べない空気の流れである。それでも頭が寒い、頭の皮膚の神経が寒さを感じるのである。

他人は人の髪の毛が多いとか少なくなったとかいちいち見てはいない、多分に自意識過剰とは思うが、それでもこれだけの速度で髪の毛が抜けてくると、人の目が気になる。そして抜けていく髪の毛を毎日眺めている我が身にはやはりまた違う感慨がある。それはびっくりする、風呂に入って体を洗う、頭髪を引くと、10本ぐらいはすっと抜けてしまう。それが何回も繰り返される。お風呂上りに見てみると、湯の表面が髪の毛で黒く覆われている。これでどのくらいの髪の毛の数かなと考え込んでしまう。人の頭髪がどのくらいあるだろう?ネットで調べてみると。以前は10万本と言われていたようだが、最近の日本人は少し少なくなって7万本と言われているらしい。抜けてもまた必ず生えてくると言う神話を信じざるを得ない。


約束

2019-11-18

投稿時間 : 14時25分21秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 医療コラム

施設長 山本洋

今日は11月18日、3年前に高知医療センターで膵臓癌の手術を受けた日である。手術前の話し、その時の主治医は3年は保証すると言ってくれた。手術後の話では思った以上に腫瘍が大きかったが、3年は約束します、5年目指して頑張りましょうと言ってくれた。その通り今日でまる3年経った。再発を告げられたが以前の主治医とのy約束の目標の5年を目指して頑張ろう。前にも書いたが執刀してくれた主治医は私より5年は若いはずであるが、今は鬼籍に入ってしまった。人の寿命は判らない。正直、なんで私ではなくて彼が先なんだと思う。なんとも言えない寂しさと悔しさがある。彼はもっともっとするべき仕事があったのにと思う。しかし今は我が身のことを考えるしかない。生かされているのだろうなと思う。少しでも生かされている時間を他者のために役立て行かなきゃと思う。

今日夕方、幡多希望の家の次の施設長を探すためにけんみん病院の先生と面談した。小児科の島田先生である。先生は大学を卒業した後、そのころは学生紛争が激しかったころで、大学に残る選択肢をやめて大阪の淀川キリスト教病院に就職された言われた。先生はキリスト者である。そこではアメリカ帰りの優秀な医師がおられて、今で言うベッドサイドティーチングで徹底的に鍛えられたと話されていた。就職後5年間の間に自宅に帰ったのはわずか2日だった言う。独身だったからよかったけど、今ならとても許されなかったでしょうねと、懐かしく思い出されていたのが印象的である。先生はこうも言われた、しかしその5年間つらいと思ったことは一度もなかった。楽しかった思い出しかないと言われる。そこでは虫垂炎の手術も、お産も経験した。お産は200人以上私がとり上げましたよと話されている。私にも同じような時期があった、内科の医師として10年の経験を積んで将来は人生の最後の時期、いろいろな病気の終末期を診ることのできる医師になりたいと赤穂市民病院の麻酔科の門をたたいた。そこで過ごした3年半の時間はそれ以後の医師人生において大きな糧になった、手術室での全身麻酔の技術、集中治療室での診療、ペインコントロールの技術、救急医療現場での診療。正直あの本当に忙しかった時間を経験したことが、その後の高知県の中山間にある大正診療所での医療に繋がったと思っている。その時に指導してもらった医師に感謝してもし過ぎることはない。残念ながら医師として働ける時間は長くはないだろうと思う。こんな状況ではある有難いことにまだ必要とされている場所がある。細く長くても良い、少しでも役に立てることがあればそれにこたえねばと思う。

毎度尾籠な話ではあるが、今朝排出した便を見ると、昨日食べた野菜が形のまま出てきているではないか!出てきてくれるのは有難いが食べたものが腸をそのまま素通りしてきては何の栄養にもなっていない。室町時代の禅僧一休和尚が、人間はしょせん糞袋と言ったとか聞くが(本当は違うようだが)、消化を全くされずに食べたものが出てくるようでは、糞袋にもならない。これは困ったと考えるが、昨日も夕食を食べた後具合が悪くなって何度か嘔吐した。おなかの痛みに耐えながら我慢して寝ているといると、おなかの中は特急列車が走るように、グルグルと言う音が隣の部屋にいる妻にも聞こえるのではないかと思えるほどである。小腸が激しく動いて内容物を大腸の方へ送っている。1時間もすれば音がしなくなる。内容物が大腸へ到達したようだ。これで眠れる。後は明日の朝の事。

翌朝は便意で目が覚める。すぐにトイレに駆け込む。排ガスが凄い、続いて排便がある。昨日夜頭に描いたようなものが出ている。あ~あである、せっかく食べたのにと思うが仕方がない。様子を見ていくしかない。

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