社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 

高知県宿毛市にある『社会福祉法人 幡多福祉会 幡多希望の家 (旧重症心身障害児(者)施設) 』のブログ

投稿時間 : 06時07分53秒

カテゴリー : 施設長の思うまま記

ジャンル : 指定なし

2019/6/16

施設長 山本洋

私の故郷は岡山県の東部にある備前市。

 備前焼で有名な町のはずれにある三石地区で生まれた。中学校までは三石町だったが、中学の時備前町と合併して備前市になった。三石は保育園、幼稚園、小学校 中学校は一つしかなく保育園から中学卒業まで同級生の顔ぶれは変わらない。11年間同じ友達と学校に通った。

 その友達の中にM氏がいる、今でも時々会うが彼は名古屋で建築事務所を主宰している。別に小学校2年の時だったか私の近所に双子の兄弟が隣町から引っ越してきた。隣町ではかなり有名な乱暴者だったが、なぜか私は早くに友達になった。名字はM氏と同じ。双子の兄稔は名古屋のM氏と同姓同名しかも高校は同じ岡山市内の工業高校、弟は誠、彼も岡山市内の別の工業高校に通った。

 市内の別の工業高校に同じ顔をした二人がいたから高校時代は色々面白いことがあったようだ。双子の兄弟とは中学校から一緒に卓球部で汗を流して、県大会まで行った。高校からは進路は変わって、なかなか合う機会は少なくなった。誠は高校を卒業して、大きな橋の設計事務所に入ったが兄は大学に行きたいと働きながら浪人していた。

 しかしいつの間にか二人とも仕事を辞めて、天理教の一派のある宗教団体に所属してそこで修養生活に入っていると名古屋のM氏から連絡が入った。二人して、兄弟を説得して脱会させようと意気込んで大阪市の南にある宗教本部に会いにいった。

 弟は奈良県の山奥で本部の建物建設に使う木材の伐採の仕事に行っているとの事で会えなかった。兄のM氏にはあったが、まったく我々の話には耳を貸さず逆に本部へのお参りをして行けと言う。結局説得はまったく出来ずに帰る事になってしまった。聞けば御両親も信者であったらしい。それからはたまに名古屋のM氏から、風の噂が入る程度で合う機会はなかった。

 ところが突然平成24年2月20日双子のM氏稔からメールが入っていた。

22日にそれに気がついて見ると、現在山口の宗教施設で勤めているが、最近医師から、B型肝炎、肝臓癌の末期と診断された、それで相談したいことがあると言う。その頃私は退職に伴う騒動の中で胃痛の為食事が出来なくなって15日胃内視鏡検査を受けて、その画像から胃癌を強く疑っていた。3月末での退職に向けての予定を調節する必要がありばたばたしていたが、これは最優先事項。

 名古屋のM氏に連絡して急遽23日岡山へ行き翌日岡山駅で落ち合い二人して山口に向かった。新幹線小郡駅には本人が迎えに来てくれていた。顔色はどす黒く痩せて、腹部は膨らんでいた。かなり悪そうだと思えた。まずはやはり宗教施設へのお参り、その後彼の母親が世話になっているデイサービスの施設へ。母親は昨年の末に誤嚥性肺炎を併発して現在経鼻チューブが挿入されている。言葉はでない、よく知っているはずの私にもまったく反応がない。認知症がかなり進行している。そして彼の自宅へ行く。彼は疲れて横になってしまった。独身で二間の家、昔の話だが結婚は信仰している教祖様が相手を決めてくれると話していたが結婚はしなかったと言う。弟の誠の話を聞くと、誠は35歳位で血を吐いて死んだという。当時大阪にいたが、具合が悪くなっても医者には行かずで、その夜、誠は兄に心細いから横に寝ていて欲しいと言った。その夜隣の部屋で寝ていたら、誠は夜中に大量の血を吐いてそのまま死んでしまったらしい。平成になってすぐのことと言う。今思えばB型肝炎から肝硬変になって、食道静脈瘤の破裂による吐血と推測された。

 稔氏は、「出来れば母親を後一年は診たい」と話す。私は「何を馬鹿なことを言っているか」と言う。

「主治医からホスピスへの入院の話しが出ると言うことは、お前の残された時間は長くて半年、短ければ3ヶ月しかないよ」と主治医からの文書を診ながら説明する。

「このままでは母親より息子のほうが先に逝くよ、お母さんはまだ話が出来ている時、食べられなくなった時にはチューブを入れて長く生きたいと話していたか、それとも食べられなくなったらそれで終わり、チューブは嫌と話していたか」と尋ねる。

「母親はチューブは要らないと言っていたが、緊急で入院した病院で入れられていた」と言う。

「それなら今後のことを良く考えろ」と話して帰路に着いた。帰りは宗教施設の職員が小郡駅まで送ってくれた。彼にくれぐれもM氏と母親のことをよろしく頼むお願いして山口を離れた。

 大正に帰ってからも忙しい。15年勤めた診療所を辞めるにあたっては色々と雑用がある。あいさつ回りも大変。28日お世話になっていた前町長の息子さんの死に立ち会う。翌日29日普通なら一週間で結果がでるはずが2週間経ってやっと生検の結果がでた。予想通りクラスⅤ、胃癌に間違いはなかった。それから自分で諸検査をしてみるが、特に転移はなし。しかし胃X-Pはかなりいびつ、ひょっとして進行癌?考えても仕方がない。急遽中村への引越しをカヌー仲間に依頼して3月3日4日に手伝って貰う。まだまだ荷物が多くてそれでは終わらない。。

 5日高知医療センターを受診して早速胃内視鏡検査、結果はスキルス性の進行癌ではないでしょうとの診断。そのまま外科へ紹介されて、手術の予定は今日の生検の結果で決めましょうとの話し。朝九時前から夕方5時過ぎ疲れたなーと思う。

 胃癌で亡くなった解剖学者の細川宏先生は詩集「病者*花」の冒頭の詩「病者」の初めに「Patients must be patient 病者とは耐え忍ぶ者の謂である」と記されている。高々外来で一日待っただけの自分はこの詩を思い出していたが、それから起こってくる3度の手術、その結果付随してくる合併症に耐え忍んでいくことになるとはその時はまったく予想も出来なかった。

9日は公式には最後の勤務、その後送別会、盛り上がらないこと著しい。

12日外科再診 やはり胃癌、3月28日手術予定、前日入院、手術は場合によっては胃全摘出術になるかも知れないとの話。。それまでにもう一度胃内視鏡検査。そして手術までに大腸内視鏡検査をするように指示された。

15日まだ今日も大正診療所で胃内視鏡検査を3人に行う。特に異常はなし、良かった。この日大正町に赴任する前から大変世話になっていた前町長を診療所で看取った。息子さんが亡くなって2週間。がっくりと気落ちされていたが、本当に自分の最後の最後の診療所での仕事になった。それから正式な引越し、片付け、あいさつ回りで気が休まる時がない。26日には医療センターで大腸内視鏡検査を受ける。なかなか便がでてしまわない。腸洗浄液を追加追加で服用する。朝8時に医療センターに行って検査が終了したのが午後6時。

 大腸検査の前処置中に山口から電話があり、昨日M氏の母親が亡くなったと本人から連絡があった。経鼻チューブを抜いて10日間その間喜んで口から食事をしていたが急に高熱が出て、呼吸状態が悪化して最後は眠るように亡くなったとのこと。「世話になった」とお礼の言葉を貰った。

27日午後1時に高知医療センターに入院、手続きをして病室へ。28日朝6時に目が覚めたが良く眠れた。午後1時に手術へ入室。点滴のラインをとって、麻酔科医師による硬膜外チューブの挿入。赤穂市民病院時代にはたくさんの患者さんにしてきたことを今時分が受けることになろうとはの思いがあるが不思議に不安はない。続いて麻酔の導入。白い液体のディプリバンが体内に入っていく。眠った。次に気がつくと手術は終了していて、気管内チューブもない。午後4時半には自分の部屋へ帰る。

術後は順調、翌日には廊下を一周する。硬膜外チューブから注入されているオピオイドが効いているためか痛みはほとんどない。しかしオピオイドの副作用か皮膚のかゆみがある。硬膜外麻酔はして欲しいがかゆみも辛い。なんとも、痛し痒しとはこのことかと苦笑する。とは言え順調に回復して6日には医療センターを退院して四万十市民病院に転院させていただいて更にしばらく療養、16日に医療センター外科受診、病理検査の結果を聞く。胃癌は早期癌でリンパ節転移はなし、術後の化学療法は不要との事。20日に退院して自宅へ帰った。

今回の胃癌は大正町の住民の方々に見つけてもらったようなもの。外来で患者さんが泣いてくださらなかったら、私は胃潰瘍になっておらず、胃内視鏡検査を受けることもなかったはず。そうすれば何年か後に進行胃癌が見つかってそのまま手の打ちようがなく終わっていたかも知れない。大正の住民の方々に感謝の気持ちしかない。そのことを4月末の高知新聞のコラム「所感雑感」に書かせていただいた。

5月16日山口のM氏が亡くなったと宗教施設の職員の方から連絡が会った。

自宅で最後息を引き取ったよう。その前に本人から母親の葬儀の時の写真が送られてきていた。同封された手紙にはありがとうの言葉があった。母親を自分が看取ることが出来て何よりだったと書いてあった。行年57歳

7年前の2月から5月までの出来事は今でも走馬灯のように鮮やかに思い出すことが出来る。自分の始めての手術、本当に世話になった前町長の息子さんと町長本人を看取ったこと、山口の友人の親子の最後の時に少しでも役に立っていたかとの思い、人生色々なことが起こってくるが、これも御縁の賜物かと思うことしきりである。

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